デザイナーズ家具【ユーデザイナーズ】

ヨーゼフ・ホフマン [New Items]

ヨーゼフ・ホフマン

Josef Franz Maria Hoffmann

ヨーゼフ・ホフマン

( 1870-1956 )
オーストリア

オーストリアの建築家でありデザイナーでもあるヨーゼフ・ホフマンは、1897年に結成されたウィーン分離派の中心メンバーの一人です。

チェコ・ピルニッツ生まれであり、ブルノの国立工芸学校に進学します。その当時に出会ったモダニズム建築で有名な建築アドルフ・ロースらと共に芸術的な基礎築いた後、ヴュルツブルクの軍事施設建設局に勤めて軍事施設の建設に携わりました。
その後は、ウィーンの造形芸術アカデミーに進学してオットー・ワーグナーワーグナーとカール・フォン・ハーゼナウアーのもとで技術を磨きあげます。

1897年には、画家グスタフ・クリムトを中心に立ち上げられた「ウィーン分離派」の中心人物の一員になります。
これまでの保守的な芸術に捉われることなく、総合芸術を志向した分離派には、絵画や彫刻、建築などに携わる若い芸術家たちが多く参加していました。分離派では他のメンバーと作製したインテリアや家具などの作品を発表し、過去の芸術を脱却した直線的なモダンニズムなデザイン、通称「スクエア・ホフマン」が加えられ、より多くの人が使える実用性の高い製品の開発に尽力します。
同じ年から翌年にかけて建設されたセセッション館(分離派会館)の内装を行いましたが、1905年には分離派を脱退しています。

分離派として活動していた1899年以降からは、30年以上にわたりウィーン芸術工芸学校で教鞭をとるなど熱心に教育活動を行っていました。
その後、分離派メンバーからの依頼により、ホーエ・ヴァルテ住宅街に建設する住宅の設計を行います。1901年に完成した二世帯住宅は、画家のカール・モルやウィーンで活躍したデザイナーのコロマン・モーザー(1903年、ウィーン工房の共同設立者)のために建てられました。1906年に建てられた「プーカースドルフのサナトリウム」は、彼が手がける最初の大作として有名です。

ホーエ・ヴァルテ住宅街に魅せられた実業家のアドルフ・ストックレーに依頼されて、1911年には有名な「ブリュッセルの別邸(ストックレー邸)」を完成させました。
直線を活かしたモダン思想のデザインが取り入れられた設計として、建築の歴史に名を残すほどの傑作としてヨーゼフ・ホフマンの代表作としてユネスコの世界遺産リスト(モダニズム建築)に登録されています。

1932年に経営難のため解散するまでのあいだ、ウィーン工房では家具のデザインをはじめ、装飾や食器、服飾、さらには庭園までデザインするなど、総合的に幅広く作品を制作しました。
そして、第2次世界大戦を経験した後にヴェニスの国際ビエンナーレのオーストリア代表をはじめ、芸術運動の委員といった公的な役職を数多く歴任しました。

0